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このテキスト

エッセイ

別に写真でも動画でもいいんだけど、今回は「テキスト」で。

例えば、今書いているこのテキストは、いつ何どきも一字一句欠けることなく読むことができる。
厳密に言えば、テキストを編集したり削除すれば「記事」の内容は変わってしまうけど、
ここで言っているのはそういうことではなくて、情報がビット化されることの意義みたいなこと。

常に不確定な感情、浮かんでは消えるアイデア
次から次へと入れ替わる流行り廃り、移り行く町並み。
色褪せる紙、壊れる機械、動かなくなるモノ。

これらとは異なり、このテキストは変わらずに存在し続ける。
受け手の感じ方が変わることはあっても、そこにはあの時のままのテキストがある。
それは一見つまらないことのように感じられるけど、尊いことのようにも思える。

何が言いたいのかというと、「ビット化された情報には不思議な安心感がある」ということ。
上記に挙げたものがあってこそ、そう思えるのだろうけど。

この「安心感」はどこからくるのか。

恐らく、ある種の不変性を兼ねる情報が、ある出来事に対する臨場感への参照元として機能することで、
過ぎ去った出来事との繋がりが一時的に取り戻され、自分がある種の継続性の中にいることを再確認させてくれるからではないかなと。
堅っ苦しい言い方をやめれば、自分が書いた文章を見るとその当時のことを思い出して、あのときはあんな感じだったなぁとか回想して、なんとなく前向きな気持ちにさせてくれるみたいなこと。

日々の大半は過ぎてしまえば、楽しかったとか悲しかったのようなボンヤリとした印象しか残さない。
けれど、例えばこのテキストを読めば、ボンヤリとした印象とは異なる、より具体的で身に迫る思いが蘇ってくる。

何かを残すことに躍起になるのは本末転倒であって、目の前の出来事を目一杯楽しもうとする姿勢が大事であることに変わりはない。
ただ、そのことについて記していくことが、行く行くは様々な意味で自分を助けてくれるような気がする。