mimi game

ろんりろん

今に始まったことではないけれど、最近、過去の自分(1,4,7,8年前とか)を振り返って、何て酷いことをしていたんだろうと思うことが多々ある。

これはさまざまな視点から言えることで、例を挙げれば、価値観や技能、勉学や人付き合いとまぁいろいろある。
価値観に関して言えば、あの当時は何でああいう考え方(価値の優先順位)をしていたんだろうとか。

特に、価値観は最も重要だ。なぜなら、価値観はその他の要素に多大な影響を与える。それらを決定づけてしまうほどに。

ここ2-3年で、さまざまなことが原因となり(テレビ(比喩だよ)の見過ぎということはあるかもしれない)、価値観が激変してしまった。
切り替わったというよりは、異なるモノが食い込んできた感じかもしれない。掻き乱されているだけなのかもしれない。
そんなこんなで、現在の価値観とは相容れない、過去の地続きにいる自分の現状に愕然としつつ、すっかり意気消沈している。

けれどこう悲観してばかりもいられないわけで、どこかで折り合いを付ける必要がある。
今一度、新たに手にしたはずの価値観からこの状況を眺めてみる。
本当に価値観が変わったのであれば、この状況から何かしらの意味を見い出せる(見い出せないのであればそれは...)。

形はどうあれ、ここまでの過程を感覚的に知っているのは自分だけであることが分かってくる。
過去の自分との差分を認識できたということは、方向はともかく確実に進んできたということを示している。
当時は何の疑問に思わなかったことを今は問い続けている。

「傍から見れば...」という問題はあるけれど、それよりも重要なことがあると思っていきたい。

過去、及びその地続きにある現状に絶望する自分を越えていけ。

迷走

集中瞑想

  • 概要
    呼吸に注意を向ける。大体20〜30分ぐらいやればいいと思う。

  • やり方
    姿勢を整え、ゆっくりと息を吐いたり吸いたりを繰り返し、呼吸に意識を集中させていく。
    しばらくして、注意が散漫になってきたら、その状況を拒絶せず(過敏に反応せず)、一度状況を確認した後、またゆっくりと再び呼吸に意識を集中させていく。
    ここでの「集中」は、外部からの刺激を遮断するものではなく、あくまでリラックスした状態を指す。

  • 効果
    脳をデフォルト状態(エネルギーをセーブする)に戻す。
    集中力、記憶力、意思決定等の認知機能を高める。

観察瞑想

  • 概要
    瞑想中に沸き起こる思考や感覚を客観的に捉え、そのまま観察していく。

  • やり方
    まず集中瞑想を行い、呼吸に意識を集中させる。
    しばらくして、思考や感覚が拡散し始めた際に、その状態を察知し客観的に観察を試みる(集中瞑想の場合は、察知した後に再び呼吸に意識を集中させていく)。
    仕事のことについてあれこれ考え始めた意識の成り行きを、当事者目線ではなく第三者として傍観する。
    慣れないうちは、考えている内容を、第三者が読み上げるようにしてナレーションしていく。

  • 効果
    発想力の向上、感情のコントロールがしやすくなる(自分を客観視することで扁桃体による脳のハイジャックを防げるようになる)等の効果が期待できる。
    感情を抑え込むのではなく、それぞれの感情を自在にコントロールして活用することを目指す(怒りは感情的な行動を取りやすくさせる一方楽観的にさせる効果がある、また不安は悲観的にさせる効果がある一方ロジカルな思考が浮かびやすくなる)。

ボディスキャン

  •  概要
    意識を集中する箇所を身体のさまざまな部位に移動させていくトレーニング。
    集中瞑想(意識を集中させる)、観察瞑想(身体の感覚を観察する)両方の側面を持つ。

  • やり方
    ゆっくりと息を吐きながら、意識を身体のさまざまな場所に移していく(神経が集中している末端の部位から始めると行いやすい)。
    まず、仰向けになり目を閉じ、呼吸(空気がどのように抜けているか/入ってくるか)を感じる。
    左足の小指から、次に薬指、中指・・・と順に意識を移動させ、最終的には全身に意識を巡らせる(移動はゆっくり行い、3ステップに10〜15分程度かける)。
    慣れてくると、神経の少ない後頭部や耳にも意識を移せるようになる。

  • 効果
    身体の反応に敏感になるため、ストレスを軽いうちに感じ取って早めに休息するなどの対応が取れるようになる
    (ストレスに対する耐性が高まるわけではないが、結果的に感情のコントロールがしやすくなる)。

思いやり瞑想

  • 概要
    上級者向きとされている瞑想。意図的に負荷をかけて耐性を上げていく。

  • やり方
    まず集中瞑想を行い、呼吸に意識を集中させる。
    しばらくしてから、自分に強いストレスをかける(失敗した姿を思い浮かべてプレッシャーを与える等)。
    その後、調息で呼吸を整え、リラックスしていく。

  • 効果
    相手の境遇を理解したうえでポジティブに思考できるようになり、結果的に自分に返ってくるメンタルダメージの軽減が期待できる。
    ストレスを利用して(トリガーにして)、リラックス状態(様々な情報を瞬時に分析して意思決定を行い行動に繋げる状態)をつくれるようになる。

 

スーパーにて

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なにげなくスーパーで目にした光景。

この光景を見て、荷出しのバイトをしてたときのことを思い出した。

 ・・・

あのときは朝型だったこととか。

朝早く暗いうちから自転車こいで、もうあの時間に自転車乗ることはないなとか。

電気が消え客のいない店内には、独特な空気感があったこととか。

あの在庫管理のやり方はないなとか。

どんな取られ方をされても、結局消費期限で昇順ソートして入れなきゃいけなかったこととか。

牛乳と納豆の荷出しは特に大変だったこととか。

あの魚屋の人、元気にやってるかなとか。

一緒に荷出ししてた人達、まだ働いているのかなとか。

見栄えを少しでも良くするために、きれいに陳列するフェーズがあったこととか。

初めて飲んだ酒はバイト後その場で買った「ほろよい ソーダ」で、今も飲んでいることとか。

バイト始める前にテスト受けて、その場で言われたのが、点数よりもいかに素早く全ての問題に手をつけたかが大事だと言われたこととか。

院に進むことを考慮してバイトを始め、結果的にバイトを辞め就職してからもう2年経つこととか。

当たり前だけど、こういう作業があって初めて商品が並んでいるんだよなと感じたこととか。

 ・・・

こう、いろいろと思いにふけっていると、「あ、やっぱりそういうことなのか」と変に納得してしまった。
言葉で説明しようとするとありきたりな言い方しかできなさそうなのでもう終わりにするけど、なんとなく前に進めた感じがしたような。

こう対象を囲い込んで除々に攻略していくイメージ

はじめに

複雑さにどう向き合うか。 

問題の理解

「なぜ作業に取り組むのか」、作業するにあたってその基盤となる明確な意思を培う。
そこを曖昧にしたまま取り組み始めると、作業中に迷子になってふりだしに戻るみたいなことが起きる。
徐々に攻略している対象が見当違いである可能性を配慮して、作業が思うように進まなかったらまずここに立ち返る。

  • 自分の責務・曖昧な要素(意図、用語の定義)を明確にする。
    曖昧にしたまま進めると、どんどん拡散していってしまう(収集がつかなくなりやがて…)。
    例.
    ① 機能の仕様を策定するときに、技術的な正確さに固執せず、そもそもなぜこの機能が必要なのか、当事者意識(1ユーザとして)を持つ。
    技術に関するさまざまな制約(インフラ不整備等)からの立往生を避け、ユーザビリティ性に注目する。
    すると、逆説的に技術的な問題が解決したりすることがある(データ量の問題が解消されてインフラを拵える必要がなくなったり等)。
    ② コードを読むときにただ漠然と読みだすのではなく、「全体の構成(ディレクトリ構造)を把握したい」等の目的を持つ。
    ③ 「○○なんて常識だろ」に対して、「え、○○って何ですか」と咄嗟に言えること。

  • 問題を再改修して自分のものにする。
    例.
    些細なことであっても、「これだけは...」というような課題を必ず設定する(例えば今日1日○○しないとか)。

戦略

上述のステップで定めたゴールに辿り着くためにすべきことを洗い出す。ここで、作業全体を見渡すようにする。
次に、作業内容を明確にし、その内容の妥当性について吟味する。各作業をシュミレーションしてみて、無駄と判断したことは省略する(この作業は時間の許す限り何度か繰り返してフラッシュアップさせていく)。

取り組む課題によってレベルは異なるけれども、いくつか事例を挙げると...

  • あらゆるツールを利用する前に、あらかじめ全体の構成、その特徴/流儀/立ち位置(どういう経緯でつくられたのか等)を把握する。
    例.
    AWS関連のツールを使うときには、推奨されている作法・流儀に倣う。
    フレームワークを使うときには、リファレンスその他公式情報に目を通し基本的な機能を確認して、無駄な作業(車輪の再発明)を避ける。

  • コードを修正する前に、巨大なコンテキストを読み込み(システムの構成や該当箇所の依存関係の把握等)、
    時間が許す限りさまざなロードマップのパターンを想定したうえで最善の手法を考える。

  • ググる前に、考える(内容の推測、検索語の選定等)。
    ツールがどのように動作するのかを考えれば、自ずとやるべき作業が見えてくる。
    例.
    smartyはページ内容を動的に定めるとき(該当ページにアクセスしたとき)、
    「template」配下のファイルをコンパイルして「template_c」「cache」配下に格納する
    → 「template_c」「cache」のアクセス権限を変更する必要があることがわかる

施行

  • やっつけで作業しない(下手でもいいから丁寧に)。
    ヒューマンエラーによる出戻り(無駄な作業)を防ぐ。
    自分の状態を一つ一つ仔細に観察して、「心配しながら、焦りながら、重圧を感じながら」と「穏やかに、ゆっくりと、気楽に」の配分を調整する。
    リラックスした穏やかな状態であるか、意味のない仕草や動作をしていないか、確認する習慣をつける。

  • (全体の作業を見渡したうえで)逐次的に作業を進める。
    トランザクションを張るイメージで、部分部分の作業を完結させていく。
    何の作業に取り組んでいるのか明確にし、その作業にのみ取り組む。並列的に進めるのは、全体の作業を見渡すフェーズのみに留める。
    着手する作業内容を曖昧にし、複数の作業を並行的に推し進めるようなことはやってはいけない。レンズを使って太陽光を一点に集めると、同じ光線を分散させたときの何倍もの熱が生まれる

  • 物事を理解しやすい姿形に落とし込む(抽象化によるイメージ化)。
    調べ物をする際はその都度調べるのではなく、後で確認できるよう/記事にできるよう、要点を絞って簡潔にまとめる。

おわりに

やっていく。

海で溺れずに泳ぎ続けるために。
もしくは、海に入るときの心構え的な。

  1. 答えを探さない
    検索を安直な答えを見つけるための道具として利用しない。
    次々と現れる最新情報(インターネットや専門書、知人からの情報)をただ受け取るだけでは、なんとなく納得して終わってしまう。
    それは情報の「消費」に過ぎず、わかったような気になるだけ。
    大切なのは、「タグ付け(能動的な姿勢で情報に接すること)」と個々の知識を結びつける関連付けにある。

  2. 事実とノウハウの識別
    「事実」には、書き手の意図が加わっていない。
    「ノウハウ」には、書き手の意図が加わっている。
    「ノウハウ」の類に接する際は、事実関係を徹底的に調べ分析したうえで、「事実」と「書き手の意図」を別けて考える必要がある。
    「事実」に着目したいのであれば、こう生温かさにも似た「書き手の意図」を捉えて、その中身を剥き出しにしてみる。
    具体的にいえば、物事を極端かつシンプルなモデルに捉え直してみる。
    その過程で感じる、何かしらの心地良さや歪さこそが「書き手の意図」ということになる。
    つまり、「書き手の意図」はその人の思想に通じてる。

  3. 逐次理解して捨てる
    消化しきれない量の情報をストックし続けることによって、意識が集中できず分散してしまう。
    安易にストックするのは、悪循環をもたらすことが多い。
    情報収集とは、情報を集めることではなく、その情報を読み込むことである。
    理解できるまで集中して読み込み、核心部分に自分の解釈を加えたら、とっと捨てる。

このテキスト

別に写真でも動画でもいいんだけど、今回は「テキスト」で。

例えば、今書いているこのテキストは、いつ何どきも一字一句欠けることなく読むことができる。
厳密に言えば、テキストを編集したり削除すれば「記事」の内容は変わってしまうけど、
ここで言っているのはそういうことではなくて、情報がビット化されることの意義みたいなこと。

常に不確定な感情、浮かんでは消えるアイデア
次から次へと入れ替わる流行り廃り、移り行く町並み。
色褪せる紙、壊れる機械、動かなくなるモノ。

これらとは異なり、このテキストは変わらずに存在し続ける。
受け手の感じ方が変わることはあっても、そこにはあの時のままのテキストがある。
それは一見つまらないことのように感じられるけど、尊いことのようにも思える。

何が言いたいのかというと、「ビット化された情報には不思議な安心感がある」ということ。
上記に挙げたものがあってこそ、そう思えるのだろうけど。

この「安心感」はどこからくるのか。

恐らく、ある種の不変性を兼ねる情報が、ある出来事に対する臨場感への参照元として機能することで、
過ぎ去った出来事との繋がりが一時的に取り戻され、自分がある種の継続性の中にいることを再確認させてくれるからではないかなと。
堅っ苦しい言い方をやめれば、自分が書いた文章を見るとその当時のことを思い出して、あのときはあんな感じだったなぁとか回想して、なんとなく前向きな気持ちにさせてくれるみたいなこと。

日々の大半は過ぎてしまえば、楽しかったとか悲しかったのようなボンヤリとした印象しか残さない。
けれど、例えばこのテキストを読めば、ボンヤリとした印象とは異なる、より具体的で身に迫る思いが蘇ってくる。

何かを残すことに躍起になるのは本末転倒であって、目の前の出来事を目一杯楽しもうとする姿勢が大事であることに変わりはない。
ただ、そのことについて記していくことが、行く行くは様々な意味で自分を助けてくれるような気がする。

押井塾に行こう

はじめに

きっかけは忘れたのだけど、自分は押井さんの話が好きだ。あの語り口がたまらなく好きだ。
いつ聴いてもその内容に惹き込まれる。素っ気なく突き放すように見えて、その根底に優しさを感じる。

そんなこんなで今回は、「押井塾」を紹介する。


シネマシネマ押井塾14 映画における編集について

は全14編から成り、押井さんが映画の演出論や制作談、その他考えていることを語り尽くす内容となっている。

万人に勧めたいのだけれど、特に技術者に聴いて欲しい。
というのも、技術者が漠然と抱えている問題を扱っているように思えるから。
提示される考えを受け入れないにせよ、いろんなことを考えるきっかけになることは間違いない。
少なくとも、モノづくりに携わっている人達が好きな内容ではあると思う。

ハッカーと画家」でも、ソフトウェアと映画の共通点に触れている。

 

映画やソフトウェアはうまくゆくほうだろう。
というのも、どちらもその製作過程はこんがらがったものだからだ。

(略)

どの映画も一種のフランケンシュタインだ。

(略)

映画やソフトウェアでそれが可能なのは、どちらも軟らかいメディアだからだ。
そこでは大胆さが報われる。

(略)

ソフトウェア会社は、少なくとも成功しているところは、プログラマにより運営されていることが多い。
映画業界では、プロデューサーが後ろについてあれこれ口を出しているとしても、
たいていは監督が画面に現れるもののほとんどを決めている。

 

類似点を要約してみると、

  • 制作物には欠陥が多くあるし、最初に思い描いていたものとはかけ離れている
    (遅く念入りな仕事は早すぎる最適化を意味する)。
    その代わりにプロトタイプを素早く作れる。だからこそ繰り返し修正していける。

  • どちらも軟らかいメディアであるから、工業製品や建造物では真似できないような、
    思い切った変更を加えることができる。

  • 成功しているところは、いわゆる技術者の裁量が大きい。
    ソフトウェアであればプログラマ、映画であれば監督。

話が脱線しそうなので、このくらいにしておいて。

話の中で印象に残ったものを、以下に並べていく。
自分の解釈を加えていたり、自分のメモ用として書き殴っていることもあり、
大分意味のわからないことになっていると思う。

一つでも気になるものがあったら、ぜひ本編を聴いていみて。

話す内容が全て本当だと思ったら大間違い。

チャンス

チャンスをチャンスと認識できない人には、一生チャンスが巡ってこない。
チャンスを捉えたら、とりあえず最善を尽くして取り組んでみる。

素質

待機している現実を楽しむ。

努力、才能うんぬんの前に、まずその前提条件として、失敗した自分に耐え、
挫折しても同じことを繰り返すというスタンスを持つ。 

承認

「監督や演出家になりたい」という欲望の中に、それらに一番向かない要素が含まれる場合がある。

撮りたい映画を持たないまま、お膳立てされた環境で監督のイスに座りたいと望んでないか。

映画を撮りたいのか、それとも映画監督になりたいのか。

原則

原則を踏まえたうえで応用問題に取り組むことで、物事を合理的かつ効率的に学べる。

「これが演出論だ!!」のような、応用問題への正しい取り組み方なんてものは教えられない。
映画は例外に対処しながらつくっていく、例外の集積であるから。
教えられるのは、例外にどう取り組むべきか、その原則のみ。
後は、実際に自分でやってみるしかない。

大抵の人が、原則を意識しないまま応用問題に取り組んでいる。
それは、原則が機能的にしか理解できないのに対し、応用問題はより具体的なため取っ掛りやすいから。
応用問題に取り組む中で失敗を積み、その経験から意識的に原則をつくっていく。

そして、原則は少なければ少ないほうがいい。少ないからこそ身につく。
宮本武蔵五輪の書にある技が少ないように、合理的に考えれば真に学ぶべきことは自然と少なくなる。

タグ付け

自分で物を考える筋道、結論に到達する過程について学ぶ。

重要なのは接する情報の量ではなく、自分で考え答えに辿り着いた情報の量。

懸命に考えるという努力を避けて、楽して物事を把握しようとしてもその内容に納得できないし、
その結果蓄積されるのは知識であったり印象論のみ。

普段感覚的に処理してる内容を、
理詰めで明確にし(目安として素人が理解できるように説明する)、
自分の考えを加えた上で、必要なときにすぐ引き出せるよう索引付けしておく。

例えつまらない映画であっても、「何故つまらないのか」「自分であればこうする」等考えているうちに、
あっという間に一本見終えてしまう(それが楽しくて仕方ない!!)。
シーン、キャラクター表現、デザイン、色彩を一つ一つ確認することを積み重ね、
「なぜこの表現が必要なのか」等を説明できるようにする。
すぐには分からなくても、その引っ掛かりを見過ごさずストックしておく。

一部の例外を除いて、大抵の創作物が引用で構成されていることを理解したうえで、
映画はもちろん、本や論文など他分野からも引用できる要素をストックしておき、
その要素をどのように活用できるか実験する。

映画のシーン描写に使われているパターンをタグ付けしておき、自分が演出するシーンでそのパターンを引用する。
例えば、「ニルスのふしぎな旅」では「エイリアン」のテクニックを模倣している。
ニルス(小さくなった男の子)がフクロウに迫るシーンに、リプリーがエイリアンに迫るカット割りを混ぜ込む。
その演出方法が正しければ、例えホラー映画の演出であっても児童文学の演出に適用できる。

引き算(100→3)

 達成感に溺れずに、「いかに省略するか」に知恵をしぼる。

 思いついたまま実行するのは馬鹿がすることで、
実際に作業に移る前にやるべきことを頭の中で整理する、空想の世界でシュミレーションし戦略を立てる。

その結果、無駄と判断したことは一切やらないことで、作業量が減りテンポが良くなる。
時間的にも精神的にも余裕が生まれ、重要な箇所により多くの時間を割くことができる。
無用なエネルギーを浪費しないため、現場が救われる。

「なぜこのカットが必要なのか」を確認し、無駄なカットを削ぎ落としていく。その代わりとして、出来のいいカットを伸ばしていく。
手順として必要なカットをできるだけ省略して、物語に込めたいニュアンス、表現に時間を割く。

労働集約型よりも、成果評価型を重んじる。

段取りうまく、合理的に物事を進めることを評価する成果評価型に対し、
労働集約型の危険なところは、熱意や思いだけで空回りに終わったとしても、達成感を求めることでその失敗を埋めてしまうところ。

現場に張り付いて取り組めば取り組む程、一生懸命やっているという達成感が蓄積されていく。
結果は出せなかったけど一生懸命やった、こんなに一生懸命やったのだから結果も良くなる、という逃げ道ができてしまう。
一生懸命取り組んだということを誰も否定できない。

間違った努力をしてはいけない。

例えば、一つのシーンやカットで伝えたいことを表現するためにどのように情報量をコントロールするのか、適切な手法を考えた上で編集作業に入る。
視聴者に与える聴覚的、視覚的な情報をコントロールして、いかに飽きさせることなく楽しませ、伝えたいことを伝えられるか。
何かを見て笑った演技に見せたいなら、キャラクターを瞬きさせてから微笑ませる。
何かサインを送る演技に見せたいなら、キャラクターを微笑ませてから瞬きさせる。
その他にも顔の角度や距離感などによって、幾通りものパターンが考えられる。
これらパターンが意図する効果を、実際に編集してから気づくのではなく、
編集する前にあらかじめ把握しておくことで無駄な作業を防ぐ。

内実

現場に出ることで世の中に抱いている幻想を消し、自己幻想に浸るのをやめることで身の程を知る。
世の中に幻想を持っている間は仕事にならない。自分のことを天才だと思っているうちは、他人が邪魔に思える。
しかし実際には、他人を理解しようと努めて初めて自分のやりたいことが実現できる。

一人では何もできない。
「自分を理解してくれ」といくら言っても聞く耳はない。

商業映画の世界では、他人の欲求を満たして初めて自分のやりたいことができる。
伝えたい表現があり、それをどのように伝えるか考えるためには、伝える対象である他人を理解する必要がある。

相手は何を必要としているのか。

相手を懸命に理解しようとすることで、相手もこちらを理解しようとしてくれる。
自分が必要としていた人に会える。自分を評価してくれる、助けてくれる人が現れる。

とりあえず目の前の人に興味を持ち、そしてその人の話を真剣に聞く。
休憩中に文庫本を読むのか、出稼ぎに来ているおっさん達と話し込むのか。
相手の話を聞くことで、自分の知らない他人の人生の内実に触れる。

そして、話し合っても分かり合えないことがあるということを理解していく。
例え誠意に取り組んでも、自分の思いは他人に伝わらないことを受け入れる。

話せば分かり合えるなんてことはなく、一瞬伝わったかと思った次の瞬間にはまた伝わらなくなる。
「伝わらないこと」を通して、相手が何を「理解できないのか」を理解することで、少しずつ他人を理解していく他ない。

相手の要望を理解し満たして初めて、自分の表現を加えることができる。
結果的に自分の映画に落とし込むことができる。 

堪能

 まず第一に、作っている本人が楽しむ。映画の醍醐味をとことん味わい尽くす。
何もかも犠牲にして、こんなに苦労して、命懸けで作った映画から見えてくるものは、映画の一部でしかない。
「これかあれか」という考えは、時としてそれ自体に価値を見出してしまう恐れがある。
他人が持ってきた企画を、再改修を繰り返す中で除々に自分の映画にしていく。
大ヒットしたことがないのに、これで基本的には30年間好きな映画をつくってこれた。
人生も映画も相対的なものだから、何か絶対的なものがあると過信したところでドツボにはまる。

自分との対話を通して、自分が何を望んているのか確認する。
何もかも取っ払った自分が本当に求めているものは何なのか。

憑物語より。

いや違うな・・・こうじゃない。
いや、違うな・・・こうでもない。

私は、一体どうしてここにいるんだ。

君のような例外的な存在の向こう側に立つにあたっては、ベストなキャスティングだと言える。
そうキャスティング。
キャスティングされたような気がしてならないんだよ私は。
私はただ単に、ここでこうして、君と戦うのに丁度いい人間だから、
役として選ばれたにすぎない気がする。

君は仕方無く、言うなれば、強制されてそこに立っているんじゃないのか?
私は少なくともそうだ。

私達にアドリブは許されていない。

忍野を探せ。
あいつなら誰にも利用されることなく、キャスティングの外から中立的にバランスよく物語に関与できる。

こんなに、ちゃんとせずに済んだ。

駒のように配置されて、駒のように動かされ、駒のように働くのは、もううんざりだ。

 

他人と群れている、日常に追われている間は忘れ去られているものと向き合う。
本当にこのまま目を瞑っていいのか。

身体と相談しながら、映画を自然につくる。
身体が要求する、自分が気持ちいいと思う流れに逆らわない。
自分の言葉や持ち場に縛られる、またやる意味があるという選択基準よりも、
目一杯楽しもうとする心持ちや心地よさ等、自分の中から自然に湧いてくるものを優先する。
システム的にトップダウンでつくるだけではなく、
この役者と仕事がしたい、またこの景観を撮りたい等ボトムアップでつくってみる。

自分のやりたいことをやるためには、ただわがまま言っていればいいわけではなく、
それ相応の自然体でいるための努力と訓練が必要になる。
周りから批判の声が挙がっているようであれば、説得して納得させたり、時には切り捨てることで対処する。

そうして自分にとっての心地よさを模索していく。

おわりに

GWはどうですか。